ドッグレスキューしおんの会🐕   

北海道の浜中町内で野犬が産んだ仔犬が野生化しないよう保護し、飼い主になってくださるご家族へ譲渡するボランティア活動をしています。

最愛のチビへ

平成27年8月7日(金)午前10時43分、大事な大事な家族である、最愛の猫、チビが他界しました。

16歳、人間にして100歳以上の高齢で、長く生きてくれました。
病気をすることなく、辛いところを私たちに見せることもなく、勝手に一人で逝ってしまうこともなく大好きな母が来るのを待って、寿命を全うして、逝きました。
家族想いの本当に良い猫です。

こんなにも悲しく、辛く、ズシンと心にのしかかるようなことを投稿するのは、チビが教えてくれた多くのことを
「今」生きている人たちに伝えたいと思ったからです。

3日という時間をいただき、家族とたくさん話をし、チビにも話を聞いてもらいながら心を整理することに努め、やっと前を向くことができました。

そして、やっと気持ちの落とし所を見つけました。
チビが亡くなったと聞いて、驚いて、なんともいえない初めての喪失感に襲われ、ただ悲しみ、"死ぬ"ということはこれからどうなることを意味するのか全く分からず、世の中の仕組みがこうも理不尽なことを恨み、その甲斐なく切なくなり、気持ちの拠り所がありませんでした。

小学4年生の遠足で捨てられていた子猫のチビを拾い、両親を説得して飼い始めました。

チビがいるだけで嬉しく、できることが増える度に喜んで、寝顔を見るだけで幸せで、ちょっかい出して遊んで笑って、庭に出てから戻りが遅いととても心配しました。

チビが私に人生の意味を教えてくれました。幸せや喜び溢れるものにしてくれました。もらってばっかりでした。

今回チビが教えてくれたことの大きなことは、命との向き合い方・付き合い方です。
チビに「16年間、ありがとうございました。」とお別れの挨拶をするつもりで実家に帰りました。
でも、その言葉は少し違うなと思いました。

確かにチビの身体はもうこの世にはなく、天に上ってしまいましたが、チビの性格や仕草は、チビの身体の中にあった「チビの魂」なるものであったとするなら、形が見えないだけで、これからもチビと話をすることや一緒に生きて行くことができる。

触れ合えないのは寂しいけれど、身体はチビの一部分で、私が愛したのはチビの「チビらしさ」なので、形が見えないことを悲しむ必要はないのだと思いました。

だから、「16年間ありがとう。そして、これからもよろしくね。」が私とチビの間のあいさつでした。特に別れたわけではありません。これからもずっと一緒です。

これまで、形式的にお墓参りをする意味が分からず、家族に強制的に連れられていました。お墓に声をかける家族に違和感がありました。

でも今なら、一緒に生きている先祖の魂とお話をする気持ちが分かります。心の拠り所であるお墓を丁寧に洗い、大切に守る気持ちが分かります。

私は今、感情的になっているわけでなく冷静になって考えて、私を大切に育ててくれた家族と、その家族を育ててくれた先祖を大事にすることが私の大きな人生の目標だとはっきり分かります。

大事にする方法は人それぞれで、一緒に暮らすことだけではないと思いますが、いつ何が起こるか分からない世で、日々、大切な家族の状況を知っていたい。
毎日対話をして、何を考えているか知っていたいと強く思います。

チビが亡くなった時に、もし、誰も家にいなくて、その時の状況が分からなかったら、、、
私はチビを一人で逝かせたことを一生後悔していました。
体調を崩してから亡くなるに至るまでの間、母や兄がちゃんとチビを見ていてくれて、全て私に話してくれたことで、追体験してチビの最期に立ち会うことができたのです。

私は家族を一人で逝かせたくないと思いました。
大切な家族やパートナーを自分なりの最善の方法で大切にして欲しいです。


8月10日 石川