ドッグレスキューしおんの会🐕   

北海道の浜中町内で野犬が産んだ仔犬が野生化しないよう保護し、飼い主になってくださるご家族へ譲渡するボランティア活動をしています。

『グチャグチャ飯』

佐藤愛子著『九十歳。何がめでたい』の本から犬の事を書いたエッセイの最初の二頁を紹介致します


『今年の六月、ハナが死んだ。
ハナは十四年前、北海道の別荘の玄関の前に捨てられていたメス犬だ。生まれて、二、三か月というところか、両の手のひらに乗っかるくらいの大きさだった。夜がしらじらと明ける頃、クークーキャンキャンと啼く声に家中が目を覚ましたのだった。

どこから来たんだろう、こんなに小さいのに……と居合わせた泊まり客がいったのは、私の家は人里離れた山の中腹にあって、人家のある所からは七百メートルくらい山道を登らなければならないからだ。どこから来たもヘチマもない。車に乗せて捨てに来たのだ。我が家を狙ってわざわざ早朝に来たのだ。私に押しつけに。

ここは私の別荘である。秋になれば私は東京に帰る。この犬を引き受けるとしたら、東京に連れて行かなければならない。飛行機に乗せて、だ。(犬の飛行機賃ナンボ?)そうしなければこれから寒さに向かうこの山に、こやつを捨てて行くことになる。その残酷な役割をこやつの飼主は見も知らぬ(尻の持ち込みようのない)私に押しつけたのだ。

私は犬を飼いたいと思っていない。前にいたタローという犬が死んだ後、暫くは犬を飼うのを止めようと思っていたのだ。飼いたくないのに(どこの何者ともわからぬ勝手者のために)飼わなければならなくなっていることの理不盡な事態に、ハラワタが煮えくり返る思いだった。

しかし人恋しさに足もとにすり寄ってくるこの小さき者を、北狐の出没する荒野に放棄することは出来ない、チクショウ! と私は憤怒しつつ、「飼うしかない!」と決心したのだった。』


「ハラワタが煮えくり返る思いだった」……1匹ではまだ生きていけない捨てられた子犬を保護するたびに思うことですが悲しいかな

あからさまに怒りを爆発させると「そんなに感情むき出しにして、保護をしている人にふさわしくないと思います。あなたは好きで犬を助けているんでしょう!」と仰る方も中には居て
この表現は控えた方がいいなと躊躇することがたびたびあります

それを佐藤愛子さんは痛快に言い放しています

ドッグフードが出回る前
日本では煮物の煮汁か味噌汁の残りを残飯にかけた汁飯を与えていましたがこれがタイトルの『グチャグチャ飯』です

佐藤さんの先代の犬二匹はこのぐちゃぐちゃ飯で十九歳と二十歳まで生きましたが
ハナちゃんは腎不全を患い亡くなってしまいました

「あの汁飯がいけなかったのか?」と佐藤さんは自責と後悔の念にかられますが結びの文章も掲載致します


『ある日、娘が親しくしている霊能のある女性からこんなことを聞いて来た。
「ハナちゃんは佐藤さんに命を助けてもらったっていって、本当に感謝していますよ。あのご飯をもう一度食べたいっていってます」
そのご飯がその人の目に見えてきたらしい。
「これは何ですか?なんだかグチャグチャしたご飯ですね?」
不思議そうにその人はいったとか。途端に私の目からどっと涙が溢れたのであった。』